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▲「中国語で誤解しないように」バックナンバー(第81〜100回)
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日本語で「出頭する」というと、「警察へ出頭する」とか「裁判所へ出頭する」とか、命令を受けて役所等へ足を運ぶ意味となっており、これは明治時代からの「官尊民卑」の風習が残った言葉といえます。現在使われている日本語で「出頭する」と言えばこれ以外の意味はありません。さすがに中国語ではその様な表現の仕方はしておらず、「警察に出頭する」は「前往公安局」或いは「到公安局去」です。
中国語の「出頭」には、お役所へ出かけるとの意味は全くありませんが、下記のようにいろいろな使われ方をしています。
@ 出世する、群を抜いている、勢力を得る、日の目を見る: 解放後工農大衆がやっと日の目を見ることが出来た(解放后、工農大衆才能出頭了)、彼の成績は群を抜いている(他的成績出頭)、彼は会社で出世した(他在公司里出頭了)、品質がよいと値も張る(貨高価出頭)。
A 顔を出す、代表者となる、: 貴方が顔を出して調停して下さい(請ni[人偏に爾]出頭、調停ba[口偏に巴])、私が彼の代りに顔を出して本件を処理する(我替他出頭処理這件事)、発起人(出頭的)。
B 表面に立つ、人前に顔を出す: いまどき表面に立つようなことを絶対にやってはいけない(現在出頭露面的事情、万万做不得)、何にでも私が顔を出さねばならない(什麼事都得我出頭露面!)。
C ある数量以上となる、・・余り、・・以上: 1万元以上(一万元出頭)、3ヶ月余りになる(有3个月出頭了)、50余り(五十出頭)。
「出頭」は頭が出ることです。従って中国語の「出頭」の意味は上或いは表面に頭を出すことなので良く理解出来ますが、日本のお役所へ顔を出すのが何故「出頭」なのか理解に苦しむ所です。或いは「官尊民卑」の時代にお役所に顔を出す際は、必ず帽子を脱ぎ、頭を下げて入って行くので、お役人の方から民間人がお役所に入って来るのを見た場合に、頭が入口から出てくるように感じたのかも知れません。いずれにせよ日本語の「出頭」は余り好ましい言葉とは言えません。
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前回は「暗算」と言う言葉を出しましたので、今回は「打算」について述べたいと思います。日本語の「打算」には、「打算的である」の様に利害・損得を考えることや計算高い或いは勘定高いことを意味しています。一方中国語の「打算」は「・・をする積もりである」「・・をしようと思う」との意味であり、それから転じて「計画する、計画がある」との使われ方もします。
従って「自分の利益に関わってくると、彼は非常に打算的になる」を「与自己的利益有関時、他成為非常打算」と中国語に訳すと全く意味が通じません。「与自己的利益有関時、他成為非常自私自利」と訳すのが適当です。日本語の「打算」の中国語訳には「盤算」とか「算計」があり、「盤算」は「算盤をはじく、計算する、胸算用する」等の意味があり、「算計」には前回説明した通り「たくらむ、陥れる」との意味と併せて、「計算に入れる、考慮する、数をつみあげる」等の意味があります。それぞれ日本語の「打算」の場合に使われます。
然し日本語の場合は「打算」より「彼は打算的である」と言うように、「打算的」の方が普遍しており、「打算的」に見合う中国語は、「自私自利」や「打小算盤」です。「自私自利」は自分の損得しか考えない我利我利亡者のことであり、また「打算盤」は小さな算盤をはじくとのことで、心の中で自分の損得を計算していることを意味しています。
「打算」という字から見れば何か計算する様に見えますが、中国語の「打算」には「・・するつもり」とか「計画がある」との意味で、日本語のような自分の損得を計算をする悪い意味は全くありません。中国語の「打算」は、「今晩は暇があるので、一杯呑みに行くつもりだ(今天晩上有閑工夫、打算喝酒去)」、「各人それぞれに考え方がある(各人有各人自己的打算)」、「彼は本当に中国へ行くつもりがあるのかどうか(他到底打算不打算到中国去)」、「夏休みに貴方はどんな計画があるのか(在暑假期間、ni[人偏に爾]有什麼打算)」等々の使われ方をします。漢字で書けば同じ言葉でも、日本と中国でこれだけの差がある次第です。
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日本では「九九」を暗算で勉強します。また算盤の上手な人は頭の中で算盤を弾いて非常に桁の多い数字をたくさん一挙に暗算して、見ている人を驚かせます。またインドでは現在2桁の「九九」を暗算出来るように勉強させている由で、いずれにせよ日本語で「暗算」と言うのは、頭の中で数字の加減乗除を計算することを意味しています。
一方中国語の「暗算」には全くこの様な意味はありません。「暗」は「暗里(陰で或いは裏で)」の「暗」、「算」は「算計(たくらみ)」の「算」とのことで、裏でたくらむとの意味ですから、「陰謀をめぐらす」とか「計略にかける」との意味になります。「敵の計略にかからない様に十分注意しなければならない」とか、「彼等は君を陥れようとしている」の場合に使われ、「非常注意不被敵人暗算」とか「他們在暗算ni(人偏に爾)」となります。
なお「算計」には「たくらむ、陥れる」等の意味以外に、「数をつみあげるとか、計算に入れる或いは考慮する」等の意味があります。従って「数をつみあげてみても余り多くは違わなかった(算計着差不了許多)」、「この件はもっと考慮する必要がある(這件事還得算計)」、或いは「計算の及ばないこと(算計不到的事)」との使い方もされています。
では日本語の「暗算」を中国語ではどう表現するかといいますと、日本語の「暗」は暗い所でというより、心の中での意味ですから、中国語では「心中」であり、また「算」は計算するの「算」ですから、「暗算」は「心算」となります。
実は「暗里計算(ひそかに計算する)」とも言えるでの、日本語の「暗算」として使い方はないのかと中日大辞典を調べてみましたが、「暗算」には明確に「ひそかに人を害する、だまし討ちにする」、「こそこそたくらんで騙し取ろうとする」との意味であると書かれており、日本語の「暗算」という意味は全くありませんでした。即ち「彼の死はやはり騙し討ちであったのだ(他的死原来是被人暗算的)」或いは「彼は我々の馬2頭を狙っている(他在暗算我們的両頭馬)」等の使い方です。
なお中国語の心の中は「心中」であると述べましたが、日本語の「心中」は2ッの読み方があり、「しんちゅう」と発音すると「心中に期するものがある」との表現の通り「心の中」の意味ですが、「しんじゅう」と発音すると「愛人と心中」とか「母子心中」「一家心中」の様に「情死」或いは「二人以上の自殺」の場合に使われています。余計なことになりましたが申し添えます。
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日本語の「正気」の反対語は「狂気」です。従って「正気」とは「狂っていない、まともな精神」との意味です。この場合の発音は「しょうき」です。これに対して中国語の「正気」の反対語は「邪気」で、「邪気のない正しい気風」との意味です。確かに「正気」の2字だけから見れば日中それぞれその言葉の意味が正当性を持っているにも拘らず、この様に意味が異なるのは面白い次第です。
日本語の「正気」を中国語では「理知」或いは「清醒的頭脳」で表します。「正気を失わずにいる」は「没有失去理知」と表現し、「正気に返ってみると、事の重大さに驚いた」は「清醒過来、対事態的厳重性吃了一驚了」となります。2005年4月に中国で起こった大使館や総領事館への投石デモや11月にフランス各地で起こった放火デモを起した人達(若者が中心と言われています)が「正気」に戻った際に感じたことかも知れません。
これ以外に「彼を正気に戻す」とか「この様な狂った世界の中で正気を保つのは非常に難しい」等の使い方があります。中国語では「把他清醒過来」とか、「在這様瘋狂的世界裏、保持理知是非常困難的」或いは「保持健全的精神是非常困難的」となります。
中国語で「正気」が使われるケースとして、「正しい気風が失われ、邪悪な気風が起こってきた」があり、これは「正気失去、邪気興起来」と表現します。古来中国では「正気」のことを「万物の根源である気、天地間にある正大且つ公明な気」と考えられており、宋の文天祥が元に捕らえられ獄中にあった時に作った忠君愛国の詩「正気歌」が有名です。
なお日本語で「正気」のことを「せいき」と読む場合があります。この「せいき」と発音した場合が中国語の「正気」と同じ意味を表しています。従って「正気歌」は「せいきか」が正しい読み方です。「しょうき」と「せいき」を考えると、日本語を正しく勉強するのはたいへんなことかも知れません。
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「遠慮」と言う字をそのまま理解すると「遠くを慮る(おもんばかる)」と言う意味にで、日本語にもその通りの「遠い先々のことまで見通した考え、深い考え」との意味が存在します。然し「遠慮」にはそれ以外に、「他人に対して言葉や行動の控えめにすること」「慎み深い」との意味や、「辞退する」、そして「公の秩序を考えて相手に要求する、或いは行事を控える」との意味を持っています。
扨て通常の会話の中で「遠い先々のことまで見通した考え」との意味で、「遠慮」を使うケ−スはほとんどなく、たまに「遠慮に欠く」と言うくらいで、主に「深謀遠慮」の様に熟語の中で使われています。この「遠慮」の意味は、中国語の原来の意味から由来するもので、論語の衛霊公の項に「子曰く、人に遠慮なければ、必ず近き憂いあり(子曰、人无遠慮、必有近憂)」という一節があります。これは「将来のことを考えておかないと、目の前に必ず思いがけない憂いが起きる」との意味です。現在の中国語でも「遠慮」には「深くおもんばかること」とか「周到な考え」の意味しかありません。
従って「遠慮なき批判」と言う日本語を「没遠慮的批評」と訳すと、中国人は「深く考えないで行った批判」と理解してしまいます。これは「不客気的批評」と訳すのが適切です。なおこの「深謀遠慮(遠大な謀りごと)」も、もともとは中国語です。
これ以外の「遠慮」は全て日本語として使われているもので、「他人に対して言葉や言動を控えめにすること」や「慎み深い」との意味で、「彼は遠慮深い人だ」と言えば、中国語では「他是非常客気的人」となり、「遠慮なくものを言う」は「不客気地説」となります。また「今日は用があるので、招待を遠慮します」、即ち「招待を辞退します」は「今天有事、婉拒邀請」です。
「公の秩序を考えて相手に要求する」とか「行事を控える」と言う意味で、「車内での喫煙はご遠慮下さい」とか「喪中につき年賀状を遠慮する」との日本語があります。これは中国語で「車内請勿吸煙」とか「因在服喪、推辞賀年片」です。
なお「深謀深慮」とか「遠慮を欠く(缺乏遠慮)」との元来の中国語の意味に使う場合は、「遠慮」の「遠」に強いアクセントを置いて表現します。一方それ以外の日本語の表現の「遠慮なく頂きます」や「喫煙をご遠慮下さい」と言うの場合の「遠慮」は、「遠慮」の「慮」にアクセントを置いてはっきり発言します。
面白いのは、中国語の深くものを考える「遠慮」でも、日本語の控えめにする「遠慮」でも、「遠慮」をし過ぎた場合は、仲のよい友達を失ったり、或いは何事にも踏み出せない弱腰な人と見られてしまいます。「遠慮」の場合は何事も度合いや節度を測ることが肝要という点では同じと言えます。
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今回は我々がよく使う言葉で、日本語と中国語で全く違った使い方をする「養成」という言葉を取り上げます。
日本語ではよく「養成」という言葉が使われます。特にオフィスに於ける従業員の養成、工場に於ける工員の養成、そして病院に於ける看護婦の養成等々、いずれも人材の養成は非常に重要です。
日本語の「養成する」は、中国で「培養」或いは「培訓」と表現します。「人材を養成する」は「培養人材」、「従業員を養成する」は「培訓職工」、そして「看護婦を養成する」は「培訓女護士」となります。日本語には「育成」という言葉もありますので、敢えて言えば日本語での「養成」「育成」が「培養」に当り、「教育を施して訓練する」という英語の「トレーニング」が「培訓」に当ると言えます。
一方中国語の「養成」は、あることを身につけることを表現し、この身につけるものは、良いことでも悪いことでも身につくものであれば両方に使われます。例えば、「良いことが身についた」は「養成了好習慣」となります。一方「悪いことが身についた」という場合は「養成了不好的習慣」となりますが、表現者のニュアンスから言えば「養成了討厭的習慣」かも知れません。悪いことが身についたと言えば、部下としては腹が立つことに「彼は部長になったら傲慢さが身についた」という事態があります。これは「他昇格到部長以后、養成了驕気」となるでしょう。
結論的に言えば日本語の「養成」は人を対象としていますが、中国語の「養成」は人に関する事柄を対象としている次第です。
中国の「中庸」という本に「故栽者培之(故に栽者は之を培う)」という言葉があり、「培」と言う字は「栽培者が草木の根に肥えた土をかぶせて育てる」との意味を持っています。日本語で「培養」と言うと、「細菌を培養する」という表現が最もポピュラーですが、これは細菌を育てて増やすことですから、中国語の元来の意味と同じです。中国語でも、「細菌を培養する」ことを「培養細菌」と同じ使い方をします。
従って「人材を育成する」ことも、草木に手をかけて育てると同じ感覚で、「手をかけて人材を教育し、訓練して育てる」とのことで、草木を育成するのと同じ「培養」という言葉が使われている次第です。
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| ■(第34回) 〔主人〕と〔愛人〕 2005-12-21 |
「主人」という言葉は、「この店の主人は彼です」と言う場合は日本語も中国語も同じです。然し言葉のニュアンスとしては、日本語の「主人」は「この店で一番偉い人」という意味であり、中国語の「主人」は「この店の持ち主或いは所有者」との意味で使っています。意味的には同じですが、感覚的に使っているニュアンスが違う所が面白い次第です。
実は昔は日本語と同じ感覚で使われていました。この場合の「主人」に対する使用人は「補人」ですが、社会主義国家の中国ではこの言葉は使われなくなり、現在使用する場合は「持ち主」」ニュアンスであるとご理解下さい。
中国語で「主人」と言うと、日本語で我々が使っている「ホスト」、即ち接待する側或いは人を言います。「奥様は我々のために非常に豪華な夕食を用意してくれた」の中国語は「女主人為我們準備了豊盛的晩餐」となります。皆さんは既に中国でご経験されたと思いますが、中国の宴会では主人側のトップ(メイン・ホスト)は扉から入った一番奥の席に座ります。日本では主賓が座る所です。正式に準備された宴会ではナプキンがいろいろな形で折ってあり、メイン・ホストの席はテーブルの中央に非常に高く折ったナプキンが置いてありますので直ぐ分かります。メイン・ゲストはメイン・ホストの右側に座ることに決まっており、料理は必ずメイン・ゲストからサービスされます。また客側が挨拶をして乾杯をする時は必ず「ご主人のお酒をお借りして乾杯させて頂きます」との一言を言わねばなりません。これは招待を受けた側のメイン・ゲストの慣用句です。
また中国語の「主人」には「所有者」「持ち主」と言う意味があります。「この絵の持ち主は彼です」は「這幅画儿的主人是他」と表現します。
一方日本語の主人は、お店の一番偉い人或いは持ち主のほかに、妻が他の人に自分の夫を表現する場合に「彼は私の主人です」とか、奥様にその女性の夫を指す場合に「ご主人は何処にお勤めですか」というように使われます。以前は中国語で「夫」のことを「丈夫」と言っていましたが、現在では「愛人」が一般的で、これは「妻」の場合でも使います。「彼は私の夫です」が「他是我的愛人」、「貴女のご主人は何処にお勤めですか」が「ni(人偏に爾)愛人在na(口偏に那)儿工作」との使い方です。中国語で「丈夫」に対応する「妻」の表現を「老婆」と言い、現在では一般に使われています。また以前は日本語の「家内」と似ている「内人」という言い方もありました。
ちょっと脱線しますと、日本語に「カカア天下」という言葉がありますが、中国でも「妻は強し」で、「妻管厳」、「怕老婆」、「懼内派」「恐妻派」等々「カカア天下」についてはいろいろな表現があります。なお「気管支炎」のことを中国語で「気管炎」と言いますが、この発音が「妻管厳」と同じなので、「彼は気管支炎を患っている」と言うと「彼は恐妻家だ」と示唆していることとなり、よく中国の方との会話に「気管炎」が出てきます。因みに日本語の「愛人」のことを中国語で「情人」と言います。
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今回はちょっと日本人には分かりにくい中国語の「質問」を取り上げます。「質問する」との言葉を中国語で表現する場合に、もちろん「質問」と言う場合もありますが、多くの場合に「質問」は使われず、一般的に「問」「問一問」「詢問」「疑問」等を使います。
何故日本語で「質問します」と言う時に「請問」と言い、「請質問」と言わないかと言うと、中国語の「質問」は「質して問う」という言葉の通り、「疑わしいことを問い質す」との意味であり、日本語でいうと「詰問する」や「責める」或いは「なじる」と言う場合に使います。
一方日本語の「質問」には「質す」との強い意味が含まれていません。単に「分からないことを問う」との意味です。従って「質問します」は中国語で「請問」となる次第です。日本語で「弁護士の質問に答える」は中国語で「回答律師的詢問」、「先生が学生の質問に答える」は「老師回答学生的問題」、「何か質問はありますか」は「有什麼疑問ma(口偏に馬)」、そして「日本料理屋は何処か教えて下さい」は、「請問一下、日本餐庁在na(口偏に那)儿?」等です。
一方「問い質す」方の「質問」の例については、「野党が質問を提出した」が「在野党提出質問」、「相手側が何故協約を破棄したか質問する」が「質問対方為什麼破壊協議」、「質問攻めに遭う」が「遭到連珠炮似的質問」、「質問連発」が「紛紛質問」、「みんな怒って彼を責めた」が「大家憤怒地質問他」となります。言葉は異なりますが、全て疑わしいことを問い質しており、このような場合に「質問」を使っています。
日本語と同じ「質問」という言葉について、「分からないから質問する」場合と、「疑わしいから問い質す質問」の場合で、中国語では使い方に相違がある点をご認識頂きたいと考えて、この言葉を取り上げました。率直に申し上げて、中国語の勉強を始めた時に、なかなかこの「質問」の使い方の違いが分かりませんでした。いろいろな用例に直面してだんだんと理解した次第です。ご参考となったでしょうか。
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日本語で「工作」と言うと、小学校時代の「工作の時間」を思い出します。紙を折り、粘土をこね、板を切って、いろいろな造形品を作るのは楽しい時間でした。若し日本語の「この子は工作が大好きです」を「這个孩子很喜歓工作」と訳すと、中国の人は「この小さな子供がどんな仕事が好きなのだろう」と不思議に思うでしょう。実は中国語の「工作」は、肉体労働や精神労働に従事することで、日本語の「仕事をする」との意味だからです。
紙や粘土、板などを使って手先の技能で物を作る日本語の「工作」を中国語では、「制作」或いは「手工」と言います。従って「この子は工作が大好きです」は「這个孩子很喜歓手工」となります。
また日本語の「工作」には「特別工作員」のように、ある目的のために活動する意味もあり、この中国語では「活動」或いは「工作」となります。「特別工作員」を中国語で「特工人員」といい、「工作」が同じ意味で使われます。日本語で政治や商売の世界で「裏でいろいろと工作している」との表現がありますが、中国語で「在背后進行種々活動」或いは「在背后進行種々工作」となります。
中国語の「工作」は、日本語の「仕事をする」とか「勤務する」と言う場合にほとんど使えます。「勤務状況」は「工作状況」、「仕事中だよ、邪魔しないで」は「我正在工作、不要打撹」等です。
なお最近北朝鮮の「工作船」が日本近海へ出没しているとの報道がしばしばありますが、これをそのまま「工作船」とすると、中国語では単に貨物船等の「仕事をする船」との意味しかなく、スパイ工作をする「工作船」のイメ−ジが出てきません。これは「特務船」とか「偵察船」との表現が適切でしょう。
日本語と中国語の言葉には今回の「工作」のように、学校の工作の場合は全く違う意味に使われるにも拘らず、ある目的のために活動する場合には同じ使い方をするとの難しい面があることを十分に認識する必要があります。
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今回はちょっと話題を変えましょう。日本の食べ物のお話をします。日本語で「刺身」と言えば、生の魚や鮑等の貝類を薄く切ったものにお醤油とワサビを着けて食べる日本独特の料理で、中国語では「刺身」のことを「生魚片」と言います。
元来中国人には生のものを食べる習慣はなく、それ以上に冷たいものを食べる習慣がありません。
以前、中国からアメリカへ行く飛行機が大雪で成田空港に降りられず関西空港へ一時着陸したことがありました。トランジット客は入国ビザがない限り所定の成田空港以外では外へ出られません。日本人やビザを必要としない外国のお客、台湾の人を含めて外へ出、ホテルに宿泊したり、新幹線で東京へ向かったにも関わらず、中国からのお客はこの為に関西空港内に足止めされました。これが中国のお客に人種差別をされたとの感じを持たせ非常に不満が高まりました。航空会社の方は何とか成田まで連れて行きたいと努力したのですが、大雪のため徒労に帰し、最終的に24時間後の翌日の昼にやっと成田へ向けて飛び立ちました。この間関西空港にはたくさんの飛行機が一時着陸をして混雑を極め、夜遅いために食事の手配が出来ず、航空会社の職員が何とかサンドイッチを手配して中国のお客へ供しました。中国の方に冷たいものは食べない習慣があった所へ、24時間も足止めされた上に、冷たいサンドイッチだけしか提供されなかったので、非常に虐待されたと受け取られてしまいました。上等なサンドイッチよりも暖かいカップヌ−ドルの方が良かったという次第です。結局人種差別と虐待とのことで日中両国間の大きな問題となり、結局航空会社の責任者が人民大会堂で公式に謝罪する事態に至ったことがありました。
日中往来が始まった当初は、訪日された中国の代表団への最高のおもてなしとして高価な「刺身」でご接待をしましたが、誰方も箸をつけることが出来ず、また日本の懐石料理は、熱々の中国料理と違って冷たいものが多いので、余り歓迎されなかったことがありました。
今では中国の方も日本料理を理解され、刺身が大好きな方も多くおられます。中国の日本料理店ではおいしい刺身を賞味出来ますし、北京と上海にはお寿司屋さんのみならず、回転寿司のお店まであるくらいです。
さて、中国語で「刺身」と言うと、入れ墨をすることや、針を身体に刺すことを意味します。日本語の「刺身」とは全くイメ−ジが異なります。昔中国には「黥刑」と言う刑罰がありましたが、これは額に入れ墨をされる刑罰です。
なぜ中国でナマ物を食べないかとの理由は、古来大都市が内陸にあってナマ物の輸送が出来なかったことと、また淡水魚に寄生虫がいたためと思われます。逆に中国では、魚介類を乾燥させ、それを如何に水に戻しておいしい料理を作るかに、料理人の腕が競われ、ナマコ、貝柱、鮑やフカ鰭がその最たるものです。実は中国でイカの乾燥したもの(スルメです)を水に戻した料理を食べたことがありあすが、これはスルメの味が強く残っており、全くイカ料理とは言えないものでした。
中国の方のほとんどは、冷たいものを好まれないので、日本料理でご接待する場合は、先ずお好みを聞く必要があり、是非気をつけて下さい。
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我々は日本語で「約束」と言う言葉を良く使います。「約束」とは「約して、それにより拘束される」との意味ですから、「約束をするということは、それによって自分自身を又は相手が拘束される」ということになります。
然し中国語で「約束」との言葉を使った場合は、拘束する意味だけの表現となり、日本語で言う所の、「ある事を取り決める」との意味の「約束をする」という意味が全くありません。中国語の「約束」とは「取り締まる」「しつける」「制約する」との意味で、「私はどんな制約も受けない」は「我不受如何約束」、「あの先生は気が弱いから、騒いでいる学生を取締ることが出来ない」は「那个老師胆很小、 」、また「彼は性格がふしだらだから、父親でさえ彼をちゃんとしつけることが出来ない」は「 、連他的父親也不能約束他」となります。
では日本語で我々の使う「約束」は中国語でどう表現するのでしょうか。中国語の「約」そのものが、日本語の「約束」の意味ですが、中国語では一字で物事を表現するケ−スが非常に少なく2字での表現となりますので、どのような表現をするかによって「約好」「約定」「約会」等の2ッの文字を使っています。「我々はちゃんと約束しましたよ」と言う場合は「我們約好了」、「彼等2人は来年3月に結婚すると約束した」は「他們両个人約定了明年3月結婚」、そして「私は彼と会う約束をした」は「我和他約定会面」等の表現をします。また「約束を守る」は「守約」、「約束を果たす」は「践約」、「約束に背く」は「違約」です。「約束を破る」は「失約」ですが、「失信」という表現もあります。
日本語でもう1ッ独特な使い方をしているのは、規則を守る場合に「約束」という表現をすることです。これは規則のことを「約束事」と言う所から来ているのでしょう。我々はよく「勝負は約束をよく守って行わねばならない」と言いますが、これは「勝負はゲ−ムの規則を守って行わねばならない」と言うことと同義語で、中国語では「進行比賽必須厳格遵守規則」と表現します。また「私は入会したら、会の約束を必ず守ります」は「我入会后、一定遵守会規」です。
更に日本語の「約束」で面白いのは、「約束手形」とか「前世の約束」とかいう表現もあることです。「約束手形」とは支払期日を取り決めた手形ですから、中国語で「期票」と言います。また「前世の約束」は「前世注定的命運」となるでしょう。
このように「約束」という言葉は、日本語では非常に幅広く使われている点が非常に面白いと思う次第です。
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日本語に「小心翼々」と言う言葉があります。我々が一般的に使うのは「気が小さくてビクビクしている様子」を表現するものですが、もう1ッ「細かく気を配って慎み深い」との意味を持っています。従って日本語の「小心」とは、「気が小さくて臆病なこと」と併せ、「慎重過ぎる」との意味があります。然し「慎重過ぎる」との表現は、我々は一般的に「慎重」と言う言葉を使っていますので、ここで言う「小心」とは、「気が小さくて臆病である」とのことのみで良いでしょう。実は中国語にも「小心翼々」と言う表現がありますが、これには「気が小さくてビクビクしている」との意味は全くなく、「細かく気を配って慎み深い様子」のみを表しています。
中国語で気が小さく臆病である人を「胆小的人」或いは「胆小鬼」と表現しますので「彼は非常に小心な人間だ」と言う時は、「他是非常胆小的人」、或いは「他是胆小鬼」となります。中国語の「気が小さい」や「臆病」としては、「胆怯」「怯懦」と言う表現もあります。
一方、中国語の「小心」には、「注意する」「気をつける」「用心する」との意味があります。標語としては「火の用心(小心火災)」「感電注意(小心有電)」や、「取扱注意(小心軽放)」です。また皆様が良くご存じの「注意しろよ!」と相手に注意を強く呼びかける際に使われます。「小心一点儿!」です。「気をつけろ!、水溜まりがあるよ(小心!、路上有水)」とか、「気をつけろ!、(凍ってるから)滑るよ(小心点儿!、路上凍結)」といろいろ注意を促す際に使用されます。またこの他に「十分に注意しなさい(要多加小心)」とか、「彼は何をやるにもたいへん注意深い(他做事、很小心)」等の使い方もあります。なお「注意する」には「小心」と併せて「留心」との言い方もあります。
さて「小心」に関連した用語として「小心眼儿」があります。これは「心が狭い」「度量が小さい」、更には「けちな根性」を表現しています。例えば「あいつは全く心が狭い、あんな小さな事をまだ根に持っている」と言う中国語の表現は「這个人真小心眼儿、為那点儿小事還記仇」となります。また「小心无過逾」とは「用心をするにしくはない」とか、「石橋を叩いて渡る」との意味です。いずれにしても、日本語でも中国語でも「小心」は余り良い表現には使われておらず、「小心」に過ぎて小さく縮じ込まっては、将来の大きな成長が期待出来ないかも知れません。
日本の会社に勤務している従業員を、日本語では簡単に「会社員」或いは「社員」と表現し、職業欄にも「会社員」と記入するのが当然であると共に、社訓や社内規則に「当社員は……であるべし」と書かれています。残念ながら欧米では職業欄に記入する職業として「会社員」と言うのがあるかどうかは不明ですが、日本語で言う「会社員」は、英語の「サラリ−マン(正式にはサラリ−ドマンですが)」に該当すると思われます。
ではこれを中国語で何と言うかというのに常に悩まされます。若し「司員」と言う使い方が日本のように一般的であれば問題がないのですが、中国語ではこのような使われ方はしていません。政府機関の例えば「財務局」を中国語では「財務司」と言いますので、「司員」と言うと「局員」の意味になってしまいます。
日本では事務職も工場の工員も、或いは土木工事等の労働者も、全て会社という組織で働いている限り「会社員」と言うことが可能ですが、この「会社員」に該当する適切な中国語は何かということに常に悩まされています。
一般的に事務所で働いているスタッフを「辧事員」、工場で働いている工員を「工人」で表現し、それを纏めて「員工」と言っています。従来の表現では全てが「労働者」であった訳ですが。然し現在中国の人に職業は何ですかと聞けば、「辧事員」又は「工人」と簡単に言うか、或いは「公司的辧事員」とか「廠方的工人」と答えるでしょう。
「会社員」を中日字典で引くと「公司的職員」となっています。これ自体はこの表現で間違いはないのですが、直訳しただけであってそのまま使えません。やはり文章では、ケ−ス・バイ・ケ−スで「公司人員」「公司員工」「公司職工」との使い方をしています。
では中国語で「社員」と表現したら何を指すかと言うと、今では消滅しましたが、人民公社や合作社で働いている人或いはそれに属している人のことでした。現在実際に使われているのは、「……社」と称する集団に属している人の名称で、具体的な例として、浙江省杭州市の西湖湖畔にある「西冷印社」のメンバ−があります。「西冷印社」は、著名な書家や篆刻家がメンバーとなった集まりであり、日本人のメンバーも居られます。人数を限定しており、メンバーが亡くなるとウエイティングの順序に従って補充されますので、「西冷印社」の「社員」になれることは、書家或いは篆刻家として非常に名誉とされています。
日本語で「模様」と言うと、織物や工芸品に施した模様やデザインのこと、そして又、「空模様がおかしい」と言うように天候状態を指す場合に使われています。若し「この着物の桜の模様はとても素晴らしい」を「這个衣服上的桜花模様是很漂亮的」と中国語で表現すると、それを聞いた中国の方は「桜花模様」とは何のことを言われたのかと理解出来ません。
日本語の織物や工芸品の「模様」のことを、中国語では「花様」「花紋」「図案」と言います。然しそれぞれ使い方が異なって、「花様」は個々の模様並びに全体の模様に使われますが、「花紋」は個々の模様のみ、そして「図案」は人がデザインしたものを指すとの違いがあります。従って上記の「この着物の桜の模様はとても素晴らしい」の表現は「這个衣服上的桜花図案很漂亮」となります。
一方中国語で「模様」と言うと、「容貌」や「様子」を指し、またこの「模様」は年齢や時間の場合にも使われ、その時の意味は日本語の「おおよそ」とか「大体」の意味になります。「容貌」や「様子」の例では「彼女は顔はまずいが、人柄は良い」との表現は「ta(女偏に也) 然模様不漂亮、但人不錯」となり、また「空模様がおかしい」は「天気的様子有点儿不正常」となり、また年齢や時間の例としては、「30歳模様的人(おおよそ30歳くらいの人)」とか、「等了半个小時模様(大体30分ほど待ちました)」との使い方をします。
実は漢和辞典によると、「模様」とは「様子」「ありさま」「かた」の表現と記されており、これは中国語と同じ使われ方で、所謂我々の使う「花の模様」とか、「花のデザイン」の様な使われ方が出ておりません。然し国語辞典では「飾りとしてつける絵や形」となっており、それが敷衍して「模様のように込み入ったありさま」として使われる例として「人生模様」と言う言葉が出ていました。
これから見て現代の言葉での「模様」は、どうやら中国語と日本語では明確に表現の差が生じているようで、やはり中国語と日本語は同じ漢字ですが、その使い方には十分注意すべきと認識させられました。
「合同」という文字は商売をしている方か、或いは弁護士・会計士の方しか知らない言葉かもしれません。日本語での「契約」或いは「契約書」という意味です。若し三井銀行と住友銀行が設合併をして三井住友銀行が設立されたことについて、例えば新聞の大きな見出しに「三井銀行と住友銀行の大合同」と書いてあると、これを見た中国の方は「三井銀行と住友銀行が大きな契約をしたのだな」と理解するでしょう。
元来日本語での「合同」の意味は2ッのものが1ッになることで、これ以外の意味はありません。従って中国の方は大きな誤解をしてしまいます。然し、Aという高校とBという高校が一緒に運動会を開催する為に建てられた「A高校・B高校合同運動会」という看板を中国の方が見たら、きっと「これはA高校とB高校が運動会の契約をしたな」と理解するので、その意味ではA高校とB高校がその場所で一緒に運動会を開催しているのを見たら、大きな誤解は生まれません。このような理解度のニュアンスの差が、その情況如何で異なる点が日本語と中国語が同じ漢字を使っている所の面白さと思います。
一方、中国語の「合同」には、日本語の2ッのものが1ッになるとか、2ッのものが一緒に何かをするとの意味が全くありません。「契約」或いは「契約書」の意味だけです。「契約する」は「擬定合同」で、「契約書に調印する」は です。中国語にも「契約」という言葉が同じ意味で存在しますが、一般的には使われていませんでした。然し日本との商売が多くなり、日本語の契約書を中国語訳するケ−スが多くなった為か、現在では中国語として「契約」或いは「契約書」との表現が見られるようになって来ています。
さて、皆さんは現在の会社に勤務された時に雇用契約書にサインされましたか。多分「会社の規定を遵守します」という誓約書を出され、それに保証人のサインが要求されます。これは日本の雇用制度が終身雇用制であり、また日本の労働基準法では「雇用に際して必ず雇用契約書を締結しなければばらない」との規定がないからです。ただ労働基準法には「雇用条件、例えば賃金、就業場所、始業及び就業の時刻、休日、有給休暇、退職等に関する事項、定年等の労働期間に関する事項は必ず文書で明示しなければならない」との規定がありますので、それが代わりをしています。一方中国の労働法では、必ず雇用期間を明記することが義務付けられており、その第19条に「雇用契約は必ず書面にて締結しなければならない」と規定しています。労働法では同じ会社に10年間勤務したら、労働者に無期限の、即ち会社が規定する定年まで勤務出来る雇用契約の締結を要求出来るとの条項があります(労働法第20条)。日本とは大きく異なる点です。この雇用契約書を中国語では「労働合同」と言い、また労働組合が労働者を代表して企業と集団雇用契約を締結することが出来(労働法第33条)、この集団雇用契約書のことを「集体合同」と言います。
日本の方の中には「中国は人治の国であり、文書は不要である」と言う方もおられますが、それは余程中国の方の信頼を勝ち得た個人の関係であり、企業として中国で仕事をされある条件を取り決めた場合には、必ず「確認書」か「合同」を締結して下さい。
第11回で「手」の説明を致しましたが、今回は「手腕」と言う言葉を取り上げてみたいと思います。
日本語の「手腕」は、「彼はなかなか手腕がある」とか「彼の料理の手腕はなかなかである」「これは大いに手腕を必要とする仕事だ」等々、その人の腕前とか才能を褒める表現に使われています。もちろん中国語でも「手腕がある」との表現がありますが、日本語と違う点はその「手腕」が主として暗いイメ−ジの表現に使われることです。
中国語の「手腕」には「手首」「腕首」と言う主な意味があります。然しこれと併せて腕前とか才能とかの意味も存在しますが、それは「手管」とか「術策」との意味であり、能力或いは才能ではあっても日本語で言う陰謀をめぐらして、手管を弄するとか術策を弄する方の才能に使われています。例えば「彼はなかなか手腕がある(他很有手腕)」と言っても、それは「要手腕(手管を弄する)」とか、「政治手腕(政治的な手腕)」の様なイメージ的に悪い使われ方をしています。従って同じ意味であるからと言ってそのまま中国語に当てはめて使ってしまうと、中国人に誤解をされてしまう恐れがあります。
では日本語の「彼はなかなか手腕がある」は、どの様な表現の仕方をするかと言うと、「他很有才能」とか「他很有実力」が適しています。彼の料理の腕前はなかなかであるは「他做菜的才能很大」であり、これは大いに手腕を必要とする仕事は「這是一件需有很大本領的工作」となります。
日本語は中国語と同じ漢字を使っていますが、使っている過程で日本に於ける使い方が本来の中国語の感覚からずれて使用されている場合がいろいろと存在しており、この「手腕」もその一ッの例として取り上げたものです。第21回に挙げた「勉強」は元来の意味と全く異なった使われ方をしている例であり、この様に同じ漢字であるとは言っても中国語は日本語と異なった外国語であり、是非「中国語を誤解しないように」との趣旨に沿って、中国語を中国語として理解する様にして頂きたいと願っています。
日本語で「経理」と言うと会計や給与支払い等の金銭を扱う業務のことですが、現代の中国語では「マネジャ−」、即ち支配人や経営者の意味です。元来中国語の古語として「経理」と言う言葉があり、「治め整える」とか「すじみち」の意味でした。
恐らくこの治め整える人との意味で、英語のマネジャ−を「経理」と中国語訳したものと思います。
中国では企業の経営最高責任者、即ち社長のことを「総経理」と言っていますが、その語源は英語の「ジェネラル・マネジャ−」です。現在では英語で経営最高責任者のことをプレジデントとかCEO(チ−フ・エグゼクティブ・オフィサ−)と言っていますが、英国では未だに「ジェネラル・マネジャ−」と称している企業が多いと思います。
では日本語の「経理」のことを中国語ではどう表現するかと言うと、「財務会計」或いは略して「財会」です。従ってご担当は何ですかと聞かれ「私は経理を担当しています」と答える時は、「我負責財務会計」或いは「我負責財会」となり、また日本の経理課は「財務会計科」或いは「財会科」となります。
中国の会社に於ける職責は、上から総経理(社長)、副総経理(副社長)、総会計師(財務会計担当最高責任者)、総工程師(技術担当最高責任者)、経理(部長)、科長(課長)があり、中国で外資が合弁会社を設立した場合に、「中外合資経営企業法」の規定により取締役会を設け、総経理、副総経理、総会計師、総工程師の4ッの職責者のみは取締役会の決議により任命されることになっています。
今回は「経理」と言う言葉の日本語と中国語の差を説明することと併せて、会社の職責の表現の差の説明を致しました。
我々は人にいろいろと迷惑をかけ、また時には常識のない人から迷惑を蒙ることがあります。この「迷惑」と言う言葉も日本語と中国語では異なる意味があり、今回は「迷惑」について述べてみましょう。
日本語の迷惑とは、「じゃまをされて困る」とか「他人のことで煩わしくいやな目にあう」とのことです。また古語としては仏教語から来た意味と思いますが、「心が迷って悟りきれない」との意味もあるそうです。
中国語で言えば、「添麻煩」「打擾」「為難」等がこれに当ります。皆様にご迷惑をかけてはいけませんよと言う「ni不要給大家添麻煩(niは人扁に爾)」とか、お邪魔します或いはご迷惑をおかけしますと言う場合の「打擾ni(同前)」、そして、あの人の為にずいぶん迷惑を受けたと言う場合の「為了他的事情、我曽経很為難了」との使い方がされます。
中国語の「迷惑」には、また日本語で言うと先ず「正気を失う」と言う意味があります。「迷惑過去」と言うと「正気を失った」であり、また「用葯把他迷惑住了」で「薬をを使って彼の正気を失わせた」との意味になります。
次に「迷う」「惑う」並びに「迷わされた」「惑わされた」との意味があり、日本で狐や狸にだまされたと言いますが、この中国語訳は「叫狐狸迷惑住了」です。その他の例として、「迷惑无主(迷って判断を失する)」、「迷惑不解(判断に惑う)」そして「迷惑人(人を惑わす)」等があります。
「迷惑」と言う語句のおもしろい点は、日本語では「迷惑」と言う2文字で「迷惑をかける、」との1ッの意味を表すのに、中国語のお方は「迷惑」2文字で日本語が持つ「迷う」「惑う」と漢字のそれぞれの意味を表していることです。是非他の人に「添麻煩」や「打擾」する様な、或いは「為難」させる様なご迷惑をかけない様にしたいものです。
日本語の「評判」は、「彼は評判が良い」或いは「彼の評判が悪い」と言う評価や評論、「彼の業績は評判である」或いは「彼は日本で評判の書家である」と言う有名や著名の意味、そして「私も彼のそんな評判を聞いた」と言う伝聞や風聞の意味で使われています。
例えば評価や論評では、「彼は評判がたいへん良い(他的評価很好)」或いは「彼の評判が悪い(他的名声不好)」と使われ、有名或いは著名では「彼の業績は評判である(他的成績是出名的)」或いは「彼は日本で評判の書家である(他在日本很聞名的書法家)、そして伝聞や風聞では「私もそんな評判を聞いた(我也聽到了、那種傳聞)」と言う使い方になります。
一方中国語で「評判」と言う意味は、評判を2ッの語句に分けた「批評や評価と判断」で理解される、日本語で言えば審査と判定や評定の意味で使われます。例えば、「評判員」は日本語の審査員であり、「評判展覧品」は展覧品の優劣を審査するとのことであり、また「他的評判是公允的(彼の判定は公平である)」との使い方をしています。「評」とは批評する、審査するとの意味であり、「判」は判定する、判決するとの意味です。
中国語の「評判」と似た様な言葉で「批評」と言う言葉があります。日本語の意味は物事の善し悪しを指摘して論じることですが、そして元来中国語も同様であったのですが、現在はちょっと違っている様です。中国の文化大革命の時代に「自我批判」ということが広くおこなわれました。これは「自己批判」と言うべきもので、大衆の面前で「私はこれこれの罪を犯しました」と自己批判をさせる政治活動でした。この点から善し悪しを論じるより、「相手の間違っている所を申し立てる」との意味合いが強くなっています。「開検討会時、我們要无情地批評同志(反省会を開催する時は我々は遠慮なく同志を批判すべきだ)」の様に使われています。
私たちも中国の企業で仕事をする時に、一緒に働いている中国人の仲間(同志)から批評を受けない様に心がけたいと思います。
「勉強」と言う文字は子供の時から耳に痛いほど聞かされています。「しっかり勉強しなさい」とか「もっと勉強しないと希望の大学に入れないよ」と良くお母さんから怒られ、そして社会に出た後でも上司から「もっと仕事について勉強しないと偉くなれない」と怒られ、我々の一生を付いて回る非常に身近な言葉です。また「貴方のお話を聞いて良い勉強になりました」と言う表現もあります。
一方中国語で「勉強」と言うと全く別な意味なので驚かされます。確かに漢字の語源を探ると「勉」は「力を出して努める」とのことですから、それに「強」が付いたことによって「強制的に力を出して努める」とのこととなり、「いやいやながら我慢して努力をする」との意味になります。ここからは学習するとの意味が全くありませんので、或いは昔学習塾や寺子屋で子供が意味も分からずに四書五経を素読させられたことによって、「勉強する」と言う日本語が出来たのかも知れません。
日本語の勉強するとの意味の中国語は「学習」或いは「用功」です。従って「しっかり勉強しなさい」は「好好学習ba(口扁に巴)」或いは「努力用功ba]で表現され、「良い勉強になりました」は「為了我、是一个很好的学習」です。もう一つ日本語の「勉強」には「勉強しますので是非一ッ買って下さい」と商品を売込む際に値引きする言葉としての独特な使われ方もあります。中国語では「我特別減価、請買一个ba(口扁に巴)」との表現になるでしょう。
中国語の「勉強」はやりたがらないことを無理強いする際に使用され、「いやいやだが仕方がない」とか「いやいやながら」、「どうにか」や「やっとのことで」との意味に使われます。
「這个説法、太勉強(この様な言い方は非常にこじつけである)」とか、「勉強答応了(しぶしぶ承諾した)」、「既是他不肯来、不必勉強了(彼は来たがらないのだから、無理強いする必要はない)」、「這点汽油勉強gou(句扁に多)到横浜(これだけのガソリンでは横浜までがやっとだ)」等々です。
確かに勉強は一日にして成らずであり、自分には無理だと思うほどの努力を重ねてこそやっと希望するレベルまで到達するのですから、中国語の「勉強」を学習するとの意味で日本語で採用したのは誠に理を得ているのかも知れません。我々は一生をかけて「勉強努力用功」すべきであると思います。
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