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| ■(第79回) 〔花(中国語)〕 2007-3-13 |



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中国語の『告 』はこの「中国語で誤解しないように」との表題でいえば最初に選ばれるべき言葉かも知れません。簡単に言えば日本語の「告訴」は「犯罪の被害者又はその法定代理人が犯罪の事実を申告してその処罰を求める」ことであり、中国語の『告 』とは口頭で「告げる、教える、知らせる」と全く違った意味を表現しているからです。
日本語の「告訴する」は中国語で『控告』、『提起 』或いは簡単に『起 』といいます。「裁判所へ告訴する」は『向法院控告』、「告訴状」は『 状』、「告訴人」は『控告人』となります。一方中国語の『告 』は「このことは私のママには言わないで」が『 件事別告 我 』、「何かニュースがあったら教えて下さい」が『有什 消息、 告 我一声』、「彼は誰にも知らせないで出発した」が『他没告 任何人就 身了』等の用例です。
『告 』の説明はこれだけなので、第76回に説明した企業の「行動規範」を中訳した際に承知した中国語も着実に現代化されている点を、2ッの例を挙げて説明します。そのひとつは「公務員」で、もうひとつは「転職」です。
日中辞典によると、中国語の『公 』とは「官公庁や団体等の雑役係又は用務員のこと」であり、日本語の「公務員」には『公 人 』或いは『政府机 工作人 』を用いると説明されています。然し現在の中国では『公 法』という法律が施行されたため、日本語の「公務員」と同じく、官公庁や団体等に勤務する全ての人を『公 』というようになりました。日本語でも偉い公務員と一般の公務員を分けて「公職者」と「一般公務員」と表現する言葉があるように、『公 法』もその第21条に「公務員の職務は、領導職務と非領導職務の2ッのカテゴリ−に分ける」と明確に規定しており、『領  』のトップは『国家 正 及び国家 副 (国家クラスの正職長及び副職長)』からボトムは『 科 正 及び 科 副 (市町村の課長及び副課長)』とされ、それ以外の人が『非領  (非役職者)』とされています。
扨てもうひとつは「転職」です。「転職」を従来は『 』『 工作』又は『 』と言っていましたが、現在は従来口語であった『跳槽』が常套語の地位を占め、政府等の公式文書は別ですが、一般的にはそれが当り前に使われているとの事です。辞書によると『跳槽』とは「くら替えする」との意味から、「今まで付き合ってきた女を捨てて新しい女にくら替えする」とか「無理に離婚して、再婚すること」との意味に使われているとのことで、余りよい表現ではありません。計画経済の時代には政府が命令する以外に転職などなかったのが、改革開放の時代になって外資企業が出現し、能力のある人は高い給料と地位を求めて自由に転職が出来るようになったので、それを羨ましく思った一般の人たちが「転職」を悪い表現で『跳槽』と言ったのかも知れません。それが何時しか常套語となり、現在では普遍的に使われる地歩を確保したものと思われます。因みに『跳槽』の語源は「馬が空になった自分の飼葉桶を飛び越して、他の馬の飼葉桶の所へ行き、その餌を食いあさる」との意味だそうです。
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最近企業が従業員のために規定している「行動規範」の中国語訳のお手伝いをしました。「行動規範」のことを中国語では『行 范』といいます。その中に「情報を公開する」或いは「情報を開示する」との言葉がありました。「情報を公開する」は中国語でも『公 信息』と表現しますが、「情報を開示する」は『披露信息』、「情報開示」は『信息披露』と表現することを認識しました。
日本語で「披露」というと、世間に広く発表するとの意味で「結婚披露」とか「開店披露」とかに使われ、また手元にある文書を相手の目の前で開いて見せる場合、自分だけが知っている話を相手に話す場合、或いは骨董品をわざわざ相手に見せる場合等、ある限った機会や場所で公開する場合に「披露」という言葉を使っています。
例えば、「皆さんに結果を披露して下さい」「彼にとっておきの話を披露した」「已むを得ず関係文書を彼に披露した」「我家に昔から伝わった古い壺を披露した」等の使い方です。然し情報の場合は「企業が持つ情報を披露する」との使い方をせず、必ず「企業の情報を公開する」或いは「企業の情報を開示する」との表現をします。
「結婚を披露する」は『宣布 婚』で「結婚披露宴」は『 婚喜筵』、そして「開店披露」は『声明 』或いは『宣布 』と表現します。「皆さんに結果を披露して下さい」は『 把 果 大家公布一下』、「已むを得ず関係文書を彼に披露した」は『不得已把有 文件 他看了』或いは『〜披露他了』、「とっておきの話を披露した」は『平 不 的 特別向他 了』、そして「我が家に昔から伝わった古い酒壺を彼に披露した」は『我家里 下来的古酒 他看了』となります。
扨て中国語の『披露』とはどのような意味かを辞書で見てみると「発表する」「公表する」とのことであり、又「顔や口振りで表す際に披露を使う」となっています。中国の日本語をよくご存知の方にお聞きしたら日本語の「披露」と中国語の『披露』では若干ニュアンスが異なると言われ、日本語の「情報を開示する」という場合には『披露』を使うのが常套的とのことでした。
その他『披露』を使う例としては「各新聞紙はみなこのスキャンダルを掲載した」というのがあり、この場合は「公表」或いは「発表」ですから、『各家 都披露了 件丑 』と表現します。「スキャンダル」は中国語で「悪い噂」或いは「醜聞」との意味から『丑 』といいます。また「汚職」のことを『丑事』といい、「土木工事業界の汚職」を『土木工程行 的丑事』又は『土木工程界的丑事』と表現します。
なお中国語の『披露』にはもうひとつ「顔や口振りでに表す際に披露を使う」との意味があります。用例としては『披露肝胆』という表現があり、「肝臓や胆嚢を開き表す」との意味から、「真心を見せる」「誠意を披瀝する」ことを意味します。この『肝胆』とは,人間が生きて行く上で絶対に必要な肝臓と胆嚢との関係から、心とか行動に於ける密接的人間関係を意味しており、『肝胆相照』は「肝胆相照らす仲」であり、『肝胆倶裂』は「心も張り裂けんばかり」を意味し、『肝胆 人』は「勇気が人一倍優れていること」を意味します。
今回「行動規範」の中国語訳をお手伝いをした際に、「情報を開示する」の中国語の表現は『信息を披露する』が常套語であることを認識しましたので、その関係ある用例と併せて記載しました。
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■(第75回) 〔交差〕 2007-1-11 |
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日本語で「戸口」というのは、家の入り口という意味しかありません。「子供が戸口まで出てお父さんの帰りを待っている」とか「電車の戸口に立ち止まると後からの人の除魔になる」等の用例です。「戸口」は中国語で『 口』或いは「 口儿』といいますので、『小孩儿到 口儿去、等 回来』とか『站在  口、影響后 来的人』となります。
一方中国語の『戸口』は日本語では「戸籍+住民票」の意味となります。日本では戸籍と住民票は本籍地と現在住居を登録している場所で別々に管理されていますが、中国では住居を登録している場所で、その地区の公安局の『街道 事 (派出所)』で管理されています。
中国語の『戸』は日本語で「家」の意味であり、『口』とは「人」の意味なので、『戸口』とは住んでいる家とその家に住んでいる人を、1冊の「戸籍簿」に纏めて登録していることを意味します。この「戸籍簿」を『戸口本』或いは『戸籍本』といいます。「戸籍簿」には、その家の代表者が家長として登録され、その家に住む者全員の名前、生年月日並びに家長との関係が記載されています。若し娘夫婦一家が同居していれば、「家長の娘」「家長の娘の婿」「家長の娘の子供」と記載される訳です。またそれぞれ一人一人に『居民身 (住民登録カ−ド)』が交付されます。勿論これには番号が付けられており、常時これを携帯しなければなりません。昨今日本では「住民票コ−ド番号」の登録が大きな問題となりましたが、世界各国では国家が国民を住民コード番号で管理するのが当り前であり、日本のように身分証明書を一切携行しないでもよい国の方が例外といえる次第です。
私は60年代にアルゼンチンに住んでいました。アルゼンチンでは全ての居住者が「住民登録カード」を持たねばならず、それには単に番号、氏名、写真のみならず、親指の指紋まで掲載されていました。南米諸国は全てこのシステムを採用しており、このカ−ドがあれば出入国が自由で、パスポ−トは不要でした。今でもこの管理システムは変わっていないと思いますが、その方法がコンピュ−タによるデ−ベ−スでの管理になっているでしょう。
中国には「都市戸籍(城 戸口)」と「農村戸籍( 村戸口)」があることはご承知の所です。また戸籍に関する用語の中国語は、「戸籍法」は同じ『戸籍法』、「戸籍に入れる」は『 戸口』又は『上戸口』、「戸籍を抹消する」は『掉銷戸口』、「戸籍謄本」が『戸籍抄件』または『戸口抄本』、そして「戸籍抄本」は『部分戸口抄本』です。
なお『戸』とは「家」のことと説明しましたが、中国語に『家々戸々』という言葉があり、これは「家ごと軒並みに」の意味です。この用例として「祝祭日はどの家も国旗を掲げる」が『 日里家々戸々掛国旗』となります。
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中国語で『大事』というと、「重大な出来事」と併せ「大々的にやる」との意味しかありません。一方日本語の方は「重大な出来事」は同じですが、「大々的にやる」との意味はありません。然し、それ以外にもいろいろな使い方があり、その点を説明しましょう。
中国語での「重大な出来事」を意味する用例として、「国家の運命に係わる重大な出来事」を意味する『国家大事』があります。これは日本語で「国家の大事に関心を寄せる」との表現あるように、使い方は中国語と同じで、『 心于国家大事』と表現します。また中国語でよく使うのは「一生の大問題」を意味する『 身大事』で、これは一般的に結婚を意味する場合に使われます。なお日本の諺として「大事の前の小事」という言葉がありますが、これは「大事の前に在って、小事を粗略にしてはいけない」との意味と「大事の前に在っては、小事に拘ってはいけない」との二つの解釈があり、それぞれ中国語で『想成大事、不能忽略小事』と『 了成大事、不妨放弃小事』と表現します。
次に「大々的にやる」との使い方として『大事 染』があり、「ちっぽけな事をわざと大げさに言う」という場合に、『抓住一件小事、大事 染』と表現します。なおこの『大事 染』は『大肆 染』ともいいます。
日本語としては、それ以外の使い方がいろいろとあり、第一に「大きな災い」との意味で「大事」を使います。「大事に至る」は中国語で『 成大 』となり、「幸い火事は大事に至らずに済んだ」は、『幸 失火没造成大火 』となります。
第二は「用心する」との意味で「大事」を使います。「大事をとってもう一日休んだ方がよい」との表現で、中国語では『 是当心点儿、再歇一天好』となります。
第三は「大切」とか「重要」の場合に「大事」を使います。「これは私にとって大事なものだ」とか「今が受験勉強に一番大事な時だ」、そして「物は大事に使おう」と言う場合です。中国語でそれぞれ『 我来 、 是很重要的東西』、『当前最重要的是、 考而温課』、『 西要小心使用』です、「物は大事に使おう」には『勿暴殄天物』との表現もあります。『暴殄天物』とは「自然の物をむやみやたらに無駄にする」とか「物を塵あくたのように無駄にする」との意味の四語成句で、『暴殄』を使って『要珍惜毎一 粒、不要暴殄』との表現があり、これは「一粒の穀物でも大事にすべきで、粗末にしてはいけない」との意味です。
第四は「自然とか体を大事にする」との場合に使います。挨拶で「ではお大事に」と言う場合に『 保重身体』と使い、「自然を大事にする」との場合は『珍惜自然』とか『 自然』との表現をします。日本語では「大事」という言葉が中国語と異なって非常に広範囲で使われている事が理解出来ます。
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■(第72回) 〔出 (出産)〕 2006-11-29 |
「出 」という日本語は、「子供を生む」とか「分娩」を意味しています。一方、中国語の『出 』は「物を生み出す」とか「物を産出する」を意味しており、分かりやすく表現すると中国語の『出 』は日本語で「産出」と字をひっくり返した意味となります。もっと分かりやすく言えば、日本語の「出産」は人を生み出すことを意味し、中国語の『出 』は物を生み出すことを意味していると理解してよいでしょう。
中国語の『出 』は、「採れる」「作る」「産出する」等の意味で、「産物を作り出す」ことを表現しています。用例としては、「中国雲南省の大理では大理石が採れる」「葡萄は雨の少ない地方で多く作られている」、「江西省景徳鎮は精巧で美しい磁器を産出する」等です。中国語で『中国云南省的大理出 大理石』、『葡萄大多出 在雨少的地方』、『江西省景徳 出 精美的瓷器』となります。また「四川盆地は物産が豊富だ」という場合も、『四川盆地出 富』と『出 を使って表現することが出来ます。
中国語で『出 』とは日本語で「産出する」との意味だと説明しましたが、では日本語と同じく『 出』という語彙を使って表現することはないかと調べましたが、実際にはその例がありません。例えば「この地方は石炭の生産が最も多い」とか「この一体はわが国で一番お茶の生産が多い地方だ」と表現する場合に、『 煤』とか『 茶』と『 』のみを使って、『 个地方 煤最多』とか『 一帯是我国 茶最多的地方』となっています。
日本語の「出産」は「子供を生む」の意味で、中国語では『生孩子』とか『 生孩子』と表現します。また名詞で日本語と同じ『分娩』もあります。用例としては「彼の奥さんが男の子を生んだ」があり、『他 人生了男孩子』とか『他夫人 生了男孩子』と使います。その他よく使われる日本語の「出産」の例としては、「計画出産」を中国語では『 生育』、「出産率」を『出生率』、「出産休暇」を『 假』、「出産予定日」を『預 日』と表現しています。
さて「奥様が無事ご出産でおめでとうございます」を中国語で一般に『恭賀 愛人平安无事地生了孩子』と言いますが、文語的な言い方として「男児のご出産おめでとうございます」を『恭賀弄璋之喜』といい、「女児のご出産おめでとうございます」を『恭賀弄瓦之喜』と表現します。『弄璋』とは「男の子が生まれること」であり、『弄瓦』とは「女の子が生まれること」です。『璋』とは玉器の一種で、男の子が生まれると『璋』を手に握らせ、大きくなったら玉(ぎょく)のように美しい品徳を備えた人になるようにと願い、『瓦』とは糸を紡ぎながら巻き取る土器のことで、女の子が生まれると『瓦』を手に握らせ、大きくなったら糸紡ぎが上手になるようにと願った古事によるものです。出典は《詩経》だそうです。
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■(第71回) 〔「歩、走、 」−その2〕 2006-11-13 |
前回は「歩」と「走」について説明させて頂きました。今回は残りの「 」について説明しましょう。
「 」は現在の日本語にはありませんが、漢和辞典では「駆ける」との意味が出ています。昔の言葉で「走」が「走る」、「 」は「駆ける」のの意味の差があるとすれば、「走」は普通の通り走るであり、「 」は息を切らせるくらい速く走る、即ち「韋駄天の如く走る」との意味であったように思われます。
扨て現在の中国語では、「 」は「走る」「逃げる」「走り回る」そして「油やガスが漏れる」とか「空気が抜ける」という場合に使われています。
「走る」の用例は、「走ってゆけばきっと間に合う( 着去、一定能ー上)」、「家からここまでずっと走ってきた(从家里一直 到 儿了)」、「逃げる」の用例は、「犯人は東京から大阪まで逃げた(罪犯从 京 到大阪)」、「鳥籠から鳥が一羽逃げた( 子里又 了一只 )」、「兎を逃がさない様に!(別 兎子 了!)」等があります。
「走り回る」の用例は、「こんなに多くの地方を、私一人では廻り切れない( 多的地方、我一个人 不過来)」や「彼は以前商売のため奔走していた(他 去  )」があります。
なお「 」には珍しい用例としての「油やガスが漏れる」とか「空気が抜ける」等の際に使われており、用例として「このタンクではかって油が漏れたことはない( 个油箱、从来没 油)」とか「瓶に栓をしていなかったので、アルコ−ルが蒸発してしまった(瓶子没盖儿、酒精都 了)」、「タイヤの空気が抜けてしまった(車胎 了气了)」、「一字抜けてしまった( 了一个字)」と表現し、、また「漏電」のことを『 』又は『走 』と表現します。
運動の「徒競走」にも「 」が使われています。「長距離競争」は 比賽』、「百米競走」は『一百米賽 』、た「四百米リレー」は『四百米接力賽 』です。用例として「四百米リレーで彼はアンカ−を務めた」は『四百米接力賽 、他 最后一棒』と表現します。なお「マラソン」は『 拉松』又は『 拉松賽』といいます。
なおご参考までに、日本語では「走る」と使われている言葉で、中国語の「 」が使われていない例を幾つか下記します。
*「筆が走る」……『信 毫』『送 自如』『文 流暢』『刷刷地写出文章』
*「水のほと走る音が聞こえる」……『可以听到水的奔流声』
*「ヒマラヤ山脈は東西に走っている」……『喜馬拉雅山脈呈 西走向』
*「空想に走る」……『耽于空想』
*「悪の道に走る」……『走上邪路』
*「感情に走って理性を失う」……『偏重感情、失去理智』
*「敵陣に走る裏切り者」……『投 的叛徒』
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■(第70回) 〔「歩、走、 」−その1〕 2006-11-8 |
中国語を習い始めた時に、中国語では「歩く事を走るという」と教わり、では走るのはと聞いたら「 」でした。然し中国語の辞書をみると「歩」も「歩く」となっています。また漢和辞典では「歩」は歩く、「走」は走る、そして「 」は駆けるとの意味になっていました。「歩」と「走」のそれぞれの用例を見てみると、現在の中国語の使い方では、「歩」は一歩の歩幅とか一歩一歩というような、歩く単位、調子や段階(ステップ)を示しており、一方「走」は歩いている動作の流れを示しているようです。理解して頂き易いように、中国語の「歩」「走」「 」の3ッについて、その違いを用例を挙げて述べてみましょう。
「歩」は日本語では「歩く」との意味です。中国語の「歩」の用例としては、「大股で歩く( 大歩走)」、「少しも動きが取れない( 歩 移)」、「一歩進むごとに振り返る(一歩一回 )」、「[将棋で]一手打った(走了一歩棋)、「最後の一歩まで気を抜いてはいけない(直到最后一歩、都不能放松)」、「こんなはめになるとは思わなかった(想不到、会落到 一歩)」等です。この他『歩歩高升(とんとん拍子で出世する)』、『歩歩為 (一歩前進するごとに基地を作る、用心深く行動する)』、『歩人後 (人の後塵を拝する)』、『歩入正規(正常な状態に入る)』等の慣用句や四字成語があります。
「走」は日本語では「走る」との意味ですが、中国語では「歩く」の意味になります。その用例としては、「子供はまだ歩けない(孩子 不会走 )」、「日本の代表団はたった今出発した(日本的代表 走了)」、「まっ直ぐに前に向かって進む(一直往前走)」等があります。その他の用例として「とうとう腕時計が止まってしまった、電池を換えなければならない(終于手表不走了、要換 池)」、「飛行機が離陸した( 机 走了)」、「[将棋で]この手は失着であった( 歩棋走坏了)」等があります。
なお号令で「前へ進め( 歩走)」やどなり声で「出て行け!」とか「どけ!」という時に『走 !』と使います。また四字成語として『 砂走石(大風が吹いて荒れている様子)』や「 針走 (裁縫の手が早い様子)がありますが、昔の時代の四字成語では「走る」との意味がそのまま使われています。例えば『走 花(馬を走らせて花を見る、即ち大ざっぱに物事の表面だけを見ること)』や『奔走相告(走り回ってお互いに知らせ合う)』です。
今回の説明は長くなりましたので、「 」は次回に譲ることとします。
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| ■(第69回) 〔无理(無理)〕 2006-10-31 |
「无理」は現在の日本語では「無理」と書きます。「无」は「無」の古語で、お寺の中には「南無阿弥陀仏」を「南无阿弥陀佛」と書いた掛け軸がかかっている所もあります。中国語の「无理」はその字の「理が無い」とのことから、「理を欠く」とか「道理をわきまえない」との意味を表します。従って「野蛮で道理をわきまえない」は『蛮横无理』と表現します。また「無理な」「不法な」との意味があり、用例としては「無理な要求を出す」や「それは余りにも無理というものだ」があります。この場合の「無理」は道理に合わない無理です。中国語では『提出无理要求』や『那也太无理了』と表現します。また「彼等はことさらに不法にもこの問題に干渉しようとしている」は『他 却偏要无理干渉 个問題』となります。
扨て日本語の「無理」には、「理の無い」とのことから普遍していろいろな表現がされています。先ず中国語と同じ「道理をわきまえない無理」があります。これは既に用例が出ていますが、日本語の諺で有名なのは「無理が通れば道理が引っ込む」があり、これは『无理行得通、道理就不存在』と表現します。
次に日本語で一番よく使われるのは「普通では無理なことを承知しながら、それを敢えてさせる無理」です。強いて行わせる「無理」で中国語では『勉強』や『 度』『不合 』『不合理』『逼迫』『強迫』『硬干』等のいろいろな表現があります。
これ等の用例としては「食べきれなければ、無理をして食べるな(吃不了的話、不要勉強)」、「そんなに無理をすることはない(用不着、那 勉強做)」、「無理な勉強をして、身体を壊さないように気をつけなさい(要当心、別用功 度、免得把身体弄坏)」、「無理難題をふっかける(提出不合理的要求)」、「君にこんなことを頼むのは無理かも知れないが〜(我拝托 件事情、也許不太合 、但〜)、「彼に無理強いてはならない(不要逼迫他)」、「書けない時は、無理をして書く必要はない(写不出来的 候、不要硬写)」等々があります。
日本語に「無理心中」との言葉がありますが、これに匹敵する熟語はありません。『(情死 )強迫 方一起死』と説明する以外にないでしょう。また日本語で「彼がそう言うのも無理からぬ点がある」とよく表現しますが、これは『他那 法、也有合乎道理的地方』となります。
なお中国語には「無理」に対して「有理」がありますが、日本語には数学の「有理数」以外はありません。中国語の「有理」は「道理がある」とか「道理にかなっている」との意味で、用例を一つだけ挙げましょう。中国語に「有理无情」という言葉があり、これは「情理かまわず」とか「委細かまわず」との意味です。「彼は、誰がよいか悪いか、委細かまわず全ての生徒に宿題を科した」は『他不管誰 誰不 、有理无情地 全部的学生在家里做課外作 』となります。
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生徒の教育と育成に非常に熱心な先生を「熱中先生」と称したテレビの番組がありました。このように「熱中」とは日本語で「ある活動に興味を持って熱心に行う」ことを言います。用例としては「彼はその仕事に熱中している」とか「彼は勉強に熱中している」があります。熱中するものには当然遊びも入っており、「彼は毎日野球に熱中している」との表現があり、また或いは「彼はあのダンサ−に熱中して仕事もろくにしない」との表現もあります。簡単にいえば夢中になって何かに没頭することを日本語で「熱中」といっている訳です。
「ある活動に興味を持って熱心に行う」との表現を中国語で『 心』、『埋 』、『 衷』等で表現します。また遊びに熱中する方は『着迷』や『入迷』で表現し、それが異性に対する熱中の場合は『迷恋』や『 恋』との表現をします。
「彼はその仕事に熱中している」は『他埋 于那个工作』、「彼は勉強に熱中している」は『他 心用功』、「彼は中国 史の研究に熱中している」は『他 心研究中国 史』と表現されます。「彼は毎日野球に熱中して、家に帰っても宿題をしようとはしない」は『他毎天 衷于打棒球、回家后在家里課外作 也不做』となりますが、「彼はブリッジに熱中している」は『他 衷于打 牌』になるでしょう。
異性に対する「彼はあのダンサ−に熱中して仕事もろくにしない」は『他 恋那个舞女、工作也不好好做』です。
一方中国語で「熱中」というと、名誉や利益などのために熱を上げることを意味します。「彼は権力と名誉と強く求めている」は『他 中于 力和名誉』であり、「彼は名利に憂き身をやつしている」は『他 中于 取名利』と表現します。この用例は『他 心致意地追求 利和名誉』や『他迷恋于 得名利』とも表現出来ます。従って中国語では「熱中」との言葉はそう使われていません。
なお中国語で『 中子』というと「熱中性子」のことです。また以前日本語で「日射病」といっていたものを、現在は「熱中症」といっているのは時代の変化かも知れません。「熱中先生」のように「熱中」という言葉は、日本では非常に幅広く当たり前に使われています。そして「熱中」という言葉は、中国語でいろいろな表現がされるので取り上げてみました。
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日本語の「工程」とは、物を作ったりする際の作業を進めてゆく順序のことを表現します。例えば「今回の生産工程は非常に複雑である」とか「今回の工事は各工程ごとにそれぞれ責任者を配置する必要がある」等の表現をして、作業とか工事の流れを表しています。一方中国語の「工程」には、作業の順序とか工事の流れを表す意味は全くありません。日本語で言えば工事或いは生産工程全体を意味しています。
日本語でも中国でも「工程管理」という言葉があります。日本語の意味は作業の流れ或いは生産の工程(プロセス)を管理する意味ですが、中国語の意味はその作業全体或いは生産工程の全体(プロセスそのもの)を管理する意味となります。従って、日本語の「工程図」とは、作業工程の途中の状態を順序だてで示す作業の流れを示した図面であり、また工程表も同じです。
日本語の「今回の生産工程は非常に複雑である」は中国語で『 次的生 程序很 』となりますし、「今回の工事は各工程ごとにそれぞれ責任者を配置する必要がある」は『 次的施工、必須在毎个工序配 負 人』となります。
中国語で「工程」を使った日本語の用例としては、「工事は非常に順調に進んでいる(工程 展很順利)」とか「作業は順序正しく行わなければならない(工程必須按照程序 行)」等があります。
その他「工程」を使った言葉として、「工程力学(応用力学)」、「工程 (工事事務所)」、「工程学(工学)」があり、また特別な使い方として「工程師(エンジニア=技術者)」があります。日本語の「技術」は中国語でも『技 』であり、「技術者」のことを『技 人員』といいますが、技術の資格を持ったエンジニア(大学の工学部を出た技術の専門家)を『工程師』と称しています。
なお中国には「 工程師」という役職があります。株式会社の場合は株主が、そして合弁会社等は出資者が取締役会(董事会)のメンバーを決定します。この取締役会の決定事項に従って。社長以下の経営幹部が会社を経営しますが、中国には社長(総経理)、副社長(副総経理)の他に「 会 師」と「 工程師」の役職があり、この4ッの役職者は経営幹部として取締役会で選ぶことになっています。この『 工程師』とは生産及び技術の最高責任者のことです。
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「假装」の日本語は、現在では略字を使って「仮装」と表現しています。然しこの「仮」の字は日本語独特の略字で、中国語には「仮」と書く簡体字はありません。日本語の「仮装」とは「仮の扮装」とか「相手を欺く為に偽りを装う」との意味があります。前者の例は「仮装行列」とか「仮装舞踏会」であり、後者の例は「仮装行為」とか「仮装巡洋艦」として使われます。前者の「仮装」は中国語で『化装』又は『假扮』となり、後者の「仮装」は『偽装』です。「仮装行列」は中国語で『化装游行』となり、「仮装舞踏会」は『化 舞会』と表現され、後者の「仮装行為」は日本語でも使われている『 装行 』、「仮装巡洋艦」は『偽装巡洋 』となります。
一方中国語の「假装」は「そのふりをする」とか「それらしく装う」との意味であり、日本語の後者の意味合いのみです。「知らないふりをする」「落ち着いたふりをする」「寝たふりをする」等の場合に全て「假装」を使います。中国語では『假装不知道的 子』『假装 静』『假装睡覚(又は装睡)』となります。また日本語の諺の「人のふり見て我がふり直せ」は『借 他人、糾正自己』です。この「ふりをする」は「假装」と併せ「装做」も使われいます。例えば「新聞を見るふりをする」を『装做看 的 子』と表現します。
扨て「假装」の際の「假」は、中国語の三声で「jia]と発音します。「假」にはもう一つ四声で「jia]と発音する意味があります。これは日本語の「暇」と同じ「休み」「休日」の意味になります。用例としては「病假(病気休暇)」、「事假(事故休暇)」、「丁假(忌引休暇)」、「婚假(結婚休暇)」、「 假(出産前後の休暇)」、「暑假(暑中休暇)」、「假日(休日)」等です。
中国語にも「暇」という字がありますが、これは「xia」と発音して、「ひま」とか「余裕」という意味です。「ひまな日( 暇)」、「ひまをとる(抽空)」、そして「そのような余裕がない(无暇及此)」等です。
今回「假装」について述べたのは、中国語で「休暇」を意味する場合は、「暇」の字ではなく、必ず「假」の字を使うことと、「仮」は日本語の略字であって、中国語では使えないことを承知して頂きたかったからです。即ち日本語で「仮」という場合は三声の「假」となり、「暇」という場合は四声の「假」になるということです。
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今回は「生気はつらつ(溌剌)とした」の「生気」という言葉です。「生」は生命力や生み出すとの意味を持ち、「気」は勇気・元気等の精神状態を意味し、「生」と気」が一緒になって「生き生きとした様子」を示しています。
日本語で「彼は生気はつらつとして仕事に励んでいる」、「生気に満ちあふれている若者」、「生気を取り戻す」、「彼は生気はつらつとした先進分子である」等の用例があります。これを中国語で「他生气勃々地工作」、「充満朝气的年青人」、「恢 活力」、「他是朝气蓬勃的先 分子」と表現し、日本語の「生気」は使い方によって「生气」、「朝气」、「活力」等で表現します。
中国語として「生气」のもう一つの使い方は、皆様がよくご存知の「怒る」或いは「腹を立てる」です。「怒るなよ!」、「お前はだれに腹を立てているのか?」、「貴方は私のことを怒っているのか?」等です。中国語で「別生气!」、「 在生 的气呀?」、「 是生我的气 ?」と表現します。なお中国語では「气を生じる」ことが「怒る」ことであり、この「气」だけを使った表現としては「气得要死(死ぬほど怒る)」や「气得 紅(真っ赤になって怒る)」があります。
なお「怒られた」や「叱られた」との表現として、中国語に「挨 」との言葉があります。「いたずらをしたのでお兄さんに怒られた」は「因為淘气、挨哥々 了」であり、「僕は叱られたことがないよ!」は「我没挨 」と表現します。
人生自分の意にならぬことが多く、よく「 別生気!」はよく言われます。生気はつらつとしたよい表現の「生気」に、中国語では生気はつらつし過ぎた結果としての「怒る」との表現があることが誠に面白いと思って取り上げました。
なお「生気(せいき)」と同じ発音で、日本語に「精気(せいき)」があります。「精気」とは生命の源泉たる元気、精力のことで、天地万物の根本の気ともいっており、中国でよくいわれる「气」とは、この「精気」のことのようです。「精気」は中国語でも「精气」であり、「精気溢れる若人(精气充沛的年 人)」と表現しています。日本語の若い人を「若者」或いは「若人」といいますが、中国語も「年青人」と「年 人」との表現があり、面白いので両方を使ってみました。
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今回は中国語の一般的な会話では余り出てこない「縁起」についてお話をします。日本語で「縁起」といえば、一番よく使われるのは「縁起がよい」「縁起が悪い」との言葉です。これは「吉凶の兆しが、よい或いは悪い」とのことで、前兆のよい、悪いを意味しています。
「縁起」というのは仏教用語の「因縁生起」から取られています。「因縁生起」とは、一切の物事は固定的な実体を持たず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているとの仏教の根本思想であり、「因縁」とか「因果」というものです。分かりやすく表現すると「物事には因縁や因果がある」ということでしょう。
日本語ではこの「兆しがよい・悪い」との「前兆」との意味と併せ、神社仏閣の歴史または御利益(ごりやく)に関する伝説を書いたもの、そして起源、由来、霊験等を「縁起」といっています。
日本語としては「縁起がよいからこの仕事は必ず成功する」との形で使うのが一般的で、後は「浅草寺の縁起」という使い方をします。中国語で前者は「因為有吉祥之兆、 个工作一定能成功」となり、後者は「浅草寺的起源」または「浅草寺的由来」となります。従って縁起がよい・悪いの場合の「縁起」は、中国語では「前兆」または「預兆」であり、神社仏閣の「縁起」は「由来」「起源」となります。
中国語の「 起」は、物事の由来、起因、理由等の意味ですが、仏語から来ている為か現在は余り使われておらず、愛知大学の漢和大辞典に「農民協会の発起人が発表した理由によると集団の力で生活を改善し、且つ土地問題を解決したい為だとのことである」との用例が出ていました。中国語では「据 、 民 会的 起人 出的 起 明、将来由集体力量改善生活、并 求解决土地問題」と表現されます。
なお中国語の「 起」のもう一つの意味として「書物のはしがきまたは序」とありますが、現在出版されている中国語の書物を見たところ「序」或いは「致 者」とされており、「 起」と書いてある本を見たことはありません。
我々日本人はよく「縁起が良い」とか「縁起が悪い」と験(げん)をかつぎますので、今回は「縁起」という言葉に着目して、日本語と中国語の差について書いてみました。
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「培養する」というと、我々は直ぐに実験室で細菌等の微生物や、動植物の組織を培養することを思い出します。「細胞培養」或いは「組織培養」といわれる点です。広辞苑を参照すると「微生物、動植物組織などを栄養、湿度などの外部条件を制御しながら人工的に発育、増殖させること」とあり、また「草木をつちかい養うこと」となっています。要はいろいろと手をかけて育成させることが「培養」であると理解出来ます。然し会社の人材や研究員も手をかけて養成しているのですが、「会社の人材や研究員を培養する」とはいわない所に日本語の「培養」の特徴があるようです。
一方中国語の方にも当然日本語と同じ意味の細菌や微生物、そして動植物の組織を実験室で培養する場合に「培 」といいますし、また草木に土をかけて養うときにも「培 」といいます。「細菌を培養する」を「培 菌」と表現し、草木を育て養うことを「培 草木」と表現します。
しかし中国語の「培 」の特徴は、人材や品性、そして力量などを養成する場合にも「培 」を使うことです。人材の養成としては「人材を養成する」、「会社の幹部を養成する」があり、品性の養成としては「道徳心を養成する」、「向上心を養成する」があり、力量などの養成としては「新しい力を養成する」、「実力を養成する」等の用例があります。これを中国語に訳すると、「培 人才」、「培 公司干部」、「培 道コ感」、「培 上 心」、「培 新生力量」、「培 力」です。
なお中国語には「培養」という言葉と共にその類似語として「培育」、「培 」、「培植」という言葉があります。「培育」は育てて養成する、「培 」は訓練をして養成する、「培植」はあるものを植えつけて育てるとの意味で、その養成する過程によって使い分けられています。例えば、果物の樹を育てる場合は「培育果 」、労働者を訓練して育てる場合は「培 工人」、民主主義の思想を植えつけて育てる場合は「培植民主主 思想」となります。
今回は「培 」という言葉が、日本語では人や人に関することには使えませんが、中国語では人や人に関することを含めた、たいへん広範囲な「育て養成する」との面で使われていることを説明しました。
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日本語の「緊張」とは、「ぎゅっと引き締まっている状態」や「ぴんと張って少しも緩みのない状態」と併せ「相互の関係が悪化して今にも争いが起きそうな状態」を表す言葉です。「晴れの舞台で緊張する」、「精神的な緊張をほぐす」、「緊張はしているが愉快な毎日を過ごしている」、「人前に出ると緊張する」、「両国の緊張関係は今も続いている」、「靖国神社問題で目下日中関係は緊張した局面にある」等の用例があります。
これを中国語に翻訳すると、「在隆重的場面、心里很 」、「放松精神 」、「毎天 着 而愉快的生活」、「在 人面前、很 」、「 国 的  系、 在 在持 」、「因靖国神社 題、中日 系 于 的局面」となりますが、この意味での「緊張」の用途は日本語も中国語も全く同じに使われています。これを英語では「strain」とか「tention]と表現します。
何故ここで英語を出したかというと、中国語の「 」には日本語にはない「差し迫っている」、「逼迫している」との意味があり、通常我々は英語をそのまま使って「タイト」即ち「tight」を使っているケ−スが多いからです。
用例としては、「仕事が多忙で休みを取る暇がない」、「人民元が強くなり、為替市場で逼迫している」、「野菜の供給が不足している」等があります。これ等の表現を我々が普段日常的にもう日本語の一部として使っている「タイト」を使って、「仕事がタイトで休みを取る暇がない」、「人民元が強くなり、為替市場でタイトとなっている」、「野菜の供給がタイトだ」といっています。中国語では「緊張」がそのまま使うことが出来、中国語では、「工作很 、没 工夫休息」、「人民 越来越上 、在 兌市場里很 」、「疏菜供 很 」となります。
今回の例は日本語と全く同じ用途を持つと共に、意味としては同じような雰囲気を持ってはいるが日本語では使われていない場面で使用されているケ−スです。しかも面白い点は、日本語では表現しにくい所を英語の「タイト」を使うと直ぐに理解出来ることで、例えば「仕事がきつくて忙しい」との状況を、「仕事がタイト」と言えば一発で理解出来てしまいます。この辺が英語の「タイト」が現在日本語の一部となって普遍的に使われている所以かも知れません。
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我々はよく手紙の最後に「切にご自愛のほどお願い申し上げます」と書きます。これは「是非ご自分の身体の健康にご留意下さい」との意味で、「自愛」とは人間が自然の状態において持つ自己保存の気持ちを表しています。
この日本語の「自愛」を中国語では「保重」で表現します。中国語の「保重」には「自愛する」「身体を大切にする」等の意味があります。「切にご自愛のほどお願い申し上げます」を中国語では「 多保重」または「 多々保重」と表現します。ちょっと難しい文語的表現をすると「敬 保重 祷」となります。
一方中国語の「自 」はちょっとニュアンスが異なって、「自重する」との意味を持っています。日本語で「自重」とは、「自分の行動を慎んで、軽々しい振る舞いをしないこと」を意味します。然し広辞苑をみるとこの意味以外に「自分の品位を保ってみだりに卑下しないこと」との意味と併せて「自分の身体を大切にして健康を損なわないこと」とも記載されています。然し我々は日常的に「自分の身体を大切にして健康に留意する場合」には「自愛」を、そして「何か事があって自分の行動を慎まなければならない場合」には「自重」を使います。
従って何か事があって、その人に自重して貰いたいと思う時に、「事はますます重大になって来ました。是非自重して下さい」と表現しますが、「是非ご自愛下さい」とは表現しません。これを中国語では「事情越来越 重、 多自 」と表わします。
漢字が持つ日本語の意味は、元来が中国からもたらされたものであり、中国語の古文である「漢文」の持つ意味を理解していた過去の事例から、日常的に我々が使っていない意味でも辞書に記載されている例が多々あります。今回の例はその一つかも知れません。従って日本語の「自分の健康に留意して下さい」との意味の「自愛」は、中国語で「保重」であり、「ある事について自分の行動を慎んで欲しい」との意味の「自重」は、中国で「自 」であると、素直に理解して使用することでよいのではと思います。
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