日本語の「心眼」は、我々の目に見える「肉眼」に対し、「心眼に映じる」との言葉の通り物事の真相や要点をはっきり判断する鋭い心の働き、即ち「洞察力」を意味しています。「彼の腹の内のいきさつは手にとる様に我が輩の心眼に映る」と漱石の猫が言ったそうですが、これを中国語に訳すと『他在内心妄想的经过、好想我在手里一个一个拿起来一样、明显地映入在眼?』となるのでしょうか。日本語の「心眼」は中国語で『慧眼』や『心窍』で表現され、「心眼を開いて現状を見よ」が『睁开慧眼看看现状?』、「彼の話が私の心眼を開いてくれた」が『他的打话开了我的心窍』となります。
中国語は『心眼』ではなく『心眼儿』といい、心の中のいろいろな動きを表現しています。日本語の5ッの意味を表現しており、1番目は「心の底から、本心で」との意味で、用例として『我打心眼儿里喜欢她』が「私は心の底から(本心で)彼女が好きだ」、『你说的话到我心眼儿去了』が「貴方の話は正に図星だった(私の本心を打った)」です。2番目は「心根、気立て」の意味で、『那人心眼儿挺好、就是嘴不饶人』が「あの人は心根はよいが、口が悪い」、『那人心眼儿好、跟他过一輩子没错』が「あの人は気立てがよいので、一生一緒にいても間違いがない」です。また『没安好心眼儿』が「碌な事を考えていない」、『心眼儿坏』が「心根が悪い」の意味ですが、この2ッは共に「腹黒い」ことを表現しています。
3番目は「気が利く、機転が利く、才覚がある」との意味で、『他有心眼儿、交给他没什么问题』が「彼は気が利くから、任せても何の問題もない」、『哥儿仨就数他有心眼儿』が「兄弟3人のうち彼が一番機転が利く」、そして『有心眼儿』が「才覚がある」との意味です。4番目は他人に対する「配慮や気遣いが多い、いらぬ心配をする」を意味しており、『他人不错、就是心眼儿多』が「彼はいい人なんだが、他の人への気遣いが多すぎる」、『他心眼儿太多、不好交』が「彼は気を回す人だから付き合いにくい」です。5番目は「気が小さい、気が弱い」との意味です。『他心眼儿窄、遇事想不开』が「彼は気が弱くて何事にもくよくよする」、『一般说女人比男人心眼儿小』が「一般的に言って女性は男性より気が小さい」などです。なお一般的には「気が大きい」は『大方、气量大、胸襟磊落』と表現し、「気が小さい」は『小气、器量小、胸襟狭小』と表現します。
日本語の「心眼」と中国語の『心眼儿』のいずれも「心」や「気」に関連した言葉ですが、日本語の方は「見分ける力、洞察力」であり、中国語の方は「内心、心根、気立て、気が小さい等」の心の動きを意味しています。
今回は日本語の「下手」です。「下手」は「上手」に対応して、これも「へた」、
「したて」。「しもて」の3ッの読み方があり、それぞれ意味が違います。「へた」
と読む「下手」には、「上手」の反対の「私は泳ぎが下手だ」との表現以外に「下手
な考え休むに似たり」という中途半端な場合の表現や「下手に口を出すと逆恨みされ
る」との「うっかり」した場合に使われる表現があります。
上手ではない用例としては「私は泳ぎが下手だ」が『我不擅长游泳』、「日本人は
自己表現が下手だと言われている」が『一般认为日本人不擅于表达自己』、「私のゴ
ルフは下手の横好きだ」が『我的高尓夫球水平很差、却非常喜欢』、「帰国してから
中国語を話す機会がなく中国語が下手になった」が『回国以后没有机会讲汉语、我的
汉语退歩了』、「彼女は料理が実に下手だ」が『她做菜确实不行』、「彼は口下手で
ある」が『他是个口齿拙笨人』などです。また慣用句の「下手の道具選び」は『技术
不好怨工具』、「下手の横好き」が『虽然笨手笨脚、还力求做得好』、また「下手の
長談義」は『废话连篇』或いは『又臭又长的讲话』といいます。この『又臭又长』の
出典は『懶婆娘的裹脚条子、又臭又长』で、これは「怠け婆さんの纒足用の布は臭
くて長い」です。これに関連した『裹脚条子理』という言葉もあり、これは「長々
しくて碌でもない理屈」との意味です。
中途半端な場合の「下手」の用例は「下手な考え休むに似たり」が『笨人出主意浪
费时间』或いは『笨人想不出好主意来』、「下手なダイエットはリバウンドを招く」
が『減肥不当、会造成体重反弾』、「アルバイトの方が下手なサラリ−マンより稼ぎ
がよい場合がある」が『做臨时工、有時比差劲的公司职员赚的钱还多』です。
「うっかり」した場合に使われる例は「下手に口を出すと逆恨みされる」が『随便
去干渉、反而让人怨恨的』、「下手をするとチャンスを逃がす」が『弄不好的话、会
丢掉机会』、「下手に手を出せない」が『不能冒冒失失地插手』或いは『不可轻举
妄动』、「この件については下手に口出しをしない方がよい」が『关于这件事、还是
別瞎表态好』などです。「へた」と読む「下手」の場合はその使われ方によって中国
語の表現が皆異なってきます。
「したて」と読む「下手」はへりくだった態度を取る場合や他の人より地位や能力
が低い場合に使われ、用例は「彼はいつも下手に居る」が「他总是那么谦虚』、「今
回何故彼に対し私が下手に出ないと駄目なのか」が『这次为什么非得我给他低头』、
「こちらが下手に出ると、あいつは必ず付け上がる」が『我越谦虚、他越拿架子』な
どです。
また「しもて」と読む「下手」は「トランプを私の下手から開始する」の場合は
「上手」と同じく中国語も『下手』が使われます。また「私は彼の下手に座る」の
場合は『我坐在他的下家』、「学校はこの川の下手にある」が『学校在这条河的下游』、
「下手から攻撃する」が『从下边进攻』です。
さて中国語の『下手』は一般的に「手を下す」や「着手する」との意味であり、ま
た『下手儿』とした場合に「下働きをする」や「助手をする」との意味があります。
用例としては『先下手为強』が「先手必勝」、『问题成堆、无从下手』が「問題山積で
手のつけようがない」です。また『下手儿』の例は『打下手儿』が「下働きをする」、
『我的妹妹作我妻子的下手儿、帮助餐厅的工作』が「私の妹が妻の助手となって食堂の
仕事を手伝っている」です。今回も「下手」に3つの読み方があるため説明が非常に長
くなりました。
日本語の「上手」には、「じょうず」、「かみて」そして「うわて」の3ッの読み方がありそれぞれ意味が違います。先ず「じょうず」と言った場合は技術が巧みな場合や能力が優れている場合、そしてなす事が得意な場合に使われます。更に「じょうず」には「お上手」と言ってお世辞をいう場合にも使われます。
「じょうず」の用例としては、「中国語が上手になりたい」が『我要学好中文』、
「彼女はピアノが上手だ」が『她弾钢琴弾得很好』、「彼は釣りが上手だ」が『他是钓魚的能手』、「彼女はダンスが上手だ」が『她擅长跳舞』、「彼は何でも上手だ」が『他干什么都棒、是多面手』、「妻は話上手で、夫は聞き上手だ」が「妻子很会说话、丈夫很会听话』、「パンダは木登りが上手だ」が『大熊猫擅于爬树』です。慣用句としての「上手の手から水が洩れる」は『智者千虑、必有一失』ですが、一般的な表現をすると『高明的人有時也会失手』となります。また「上手の猫が爪を隠す」は『真人不露相』で、「じょうず」と使う場合はそれぞれそのケースによって中国語では異なった表現となります。
また「お上手」というお世辞の表現について、中国語で口がうまい事を『会说话』や『会奉承』、お世辞を『奉承的話』や『恭维的话』といいます。「上司にお上手を言う」が『对上司说些恭维的话』、「まあ! お上手ですね」が『哎呀! 您真会说话』となります。なお俗語でお世辞をいうことを『拍马屁』といい、「お世辞者」は『会拍马屁的』です
「かみて」と発音する「上手」には「川の上手」や「上手に座る」とか「トランプを私の上手から開始する」との表現もあります。「川の上手」が『河川的上游』、客は上手に座る」が『客人坐在上座』、「トランプを私の上手から開始した」が『从我的上手开始打牌』で、これは中国語も同じ使い方をしています。
「うわて」と発音する「上手」は「技能や能力が自分より上手な人」があり、運動面の使い方として「相撲の組み手の上手を取るとか上手投げ」や「野球の上手投げ」があります。また相手に対して高飛車に出る「相手の上手に出る」との表現もあります。技能や能力が自分より上であることを表現する用例は「彼の方が私より一枚上手だ」が『他比我高一筹』、「テニスは私が君より一枚上手(うわて)だが、野球は君が本当に上手(じょうず)だ」が『打网球我比你高一筹、但打棒球你真是拿手的』となります。また高飛車に出る例としては「相手に対して高飛車に出る」が『盛气凌人的态度对待对方』、「相手が弱いとみると彼は急に上手に出る」が『看出对方软弱、他马上就采取盛气凌人的态度』です。
他方中国語の『上手』はどのように使われているかの説明です。日本語と同じ使われ方をするのは「かみて」と読む場合だけで、トランプや麻雀で自分の前に牌を打つ『上手』です。一般的に中国語の『上手』は「始める、開始する」との意味と「手を出す、殴る」との意味です。用例としては『今天的工作、一上手很順利了』が「今日の仕事は初めからたいへん順調だった」、『他一上手、大家都跑了』が「彼が手を出すと皆逃げ出した」などです。日本語の読み方が3ッもあるので説明が非常に多岐に亘ってしまいました。
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